廃墟なき世界はユートピアか?



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「スタートレック」というSFのシリーズがありますよね。私はずいぶん若い頃から大ファンでした。なんでもアメリカではスターウォーズ派とスタートレック派に2分され、論争まであるなんて話を聞いたことがあります。私はスタートレック派です。

さて、このSFの設定は今からおよそ300年後の未来で、その頃の地球上ではあらゆる問題が解決され、例えば戦争や紛争、貧困の差とか人種差別など様々な問題が解決され、そしていよいよ人類は未知のそして最期のフロンティアである宇宙へ旅立つ、というもの。

ということは、とりあえず人類は地球上ではある意味でユートピアを創り上げたということになるのかもしれません。あらゆる問題が解決された、ということは申し分の無い理想的な世界ということでしょうから。

でも、スタートレック派の私もこの設定というか前提にはちょっと首をかしげざるを得ないのです。つまりあと300年程度で人類はそんな理想郷を創れるのか、という疑問です。はっきり云うと、それは無理ではないかというのが私の予想なのですが、ちょっと悲観的過ぎるでしょうか・・・?

以前私は、人間は様々な失敗や悲惨な歴史を経ながらも少しづつは賢くなり、進歩してゆくはずと信じてました。科学も発展し、苦い失敗を繰り返しながらも様々な問題も克服して行くのだど、漠然とですが信じてました。3歩進んで2歩下がるじゃないけど、少しづつは進歩するはずと思っていたのです。

つまり、人類は理想郷「ユートピア」にほんの少しづつでも近づいて行くのだ、と・・・そして今でもそう信じたいのですが。

その理想郷まであと何年かかるのか、ということではなく、本当に人間はユートピアに近づいているのだろうか・・・今の私には人間がユートピアに近づいているようにはどうも思えない。それどころか、人類は限りなくデストピアに向かっているように感じられてならないのです。

科学というのは一見すると、確実に発展して行くのは確かでしょう。ですから人類も世界も進歩すると錯覚してしまうような気がしてならないのです。科学が発展し、次々と新しいテクノロジーが生まれても、人間そのものはあまり進歩していないらしいし、それどころか知識とか知性なんかとは別の大切な何かを徐々に失ってしまいつつあるのでは、というのが私の実感です。世界で起きている様々な事象を見れば見るほど、私にはその感覚が、つまりデストピアに向かっているような気がしてならない。

もしかしたら、廃墟好きの私の取り越し苦労かもしれないし、大いなる勘違いかもしれないですね。永い永い歴史のわずか一幕から感じた私の悲観論かもしれない。できればそうであって欲しい。

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ひとつ云えると思うのは、ユートピアには「廃墟」はほとんど存在しないだろう、ということ。その理由はあまり論理的には説明しずらいのですが、人間にとっての理想郷に見捨てられ荒廃した建造物はあまりにも不釣合いなはずです。きわめて直感的な印象ですけど。

だとするなら、もしかしてユートピアは私にとって、とても息苦しい社会なのかもしれない。私は不完全で非合理に満ち溢れている人間やその社会を、あるときは美しいと思ったりするのが、現在を生きて行くうえでの知恵のでもあり、ちょっと不謹慎ですが楽しみ方でもあるような気がしてならない。仮にそこがユートピアでないにしても、生きる価値はあると信じ、美しきものを発見し楽しむのは、生きる術のような気がしてならない。

でないと、心の中まで廃墟のように荒廃してしまいそうですから。

もしかしたら、私は本当はユートピアを望んでいないのかもしれません。心のでこかで不完全で矛盾に満ちた人間や社会を愛おしく思っているのかもしれません。自分の心の奥を垣間見るたび、人間とはかくも複雑でわけの分からない存在である気がしてならないのです。

いずれにしろ、仮にやがて人類がユートピアを創り上げるにしても、まだまだ膨大な時間がかかることになりそうですね。幸か不幸か、私には無縁の世界なのは間違いありません。

 

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