廃墟を保存するという愚行



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皆さん、「軍艦島」ってご存知ですよね。特に廃墟好きでなくてもこの呼び名を耳にした方は少なく無いと思います。長崎県の沖合い約18Kmくらいに位置する小さな島で、もとは端島というのが島の正式な名前のようで、「軍艦島」は俗称です。

炭鉱の島として栄え、かつては日本一人口密度の高い地位といわれるほど多くの人が住んでいたそうです。時代の盛衰とともに1974年には閉山というか閉島になり、無人の島になったとのこと。

数年前から、一般の方でもこの島に行けることになり、今ではフェリーで島を訪れる観光ツアーもいろいろあるみたいです。残念ながら私はまだ行ったことがありません。

噂によると、やはり島の中では動き回れる範囲はかなり制限されているようですね。それも当然だと思います。大きな規模の廃墟ですから、建物の中に入ったらとても危険でしょうし、倒壊して瓦礫なんかが落ちてくる可能性もある。安全を確保するために制限するのはやむを得ないでしょうね。

軍艦1

解禁され誰でも行けるようになったのはいいけど、私としては変に「保存」しないで欲しいな、と感じてます。廃墟なんですから、朽ちて行くのは当然で、それを保存するのは人間の手が再び加わるということになるわけで、だとするとそれは廃墟と呼べるでしょうか・・・。観光名所になるのは悪くないとは思いますが、私個人の感想としては、多くの人々でにぎわっている場所が、果たして「廃墟」なのか、なんて皮肉を一言。

さて、よく歴史的なモニュメントを保存しているのはありますよね。特に大きな歴史的事件や事故の記憶を風化させないために当時の破壊された建造物などをそのままに保存し、記念碑的に保存することはありますよね。例えば過ちを繰り返さないためにとか、犠牲者たちのことを忘れない為にとか、そんな目的で存在するのでしょう。保存するわけだから、けっこう維持するのにお金もかかると思います。むろんこれらは本質的に廃墟とは違います。

マァ、私としては、それはそれで悪くは無いと思うし、意義はあるのだろうと思うのですけど、本当に効果があるのでしょうか。つまりそのようなモニュメントが二度と過ちを繰り返さない為にそれほど役立つのでしょうか。

もちろん、その答えは私には分かりませんが、そのモニュメントの存在の奥にあるものを見抜く必要があるような気がします。たまたま起こった事象についての記憶をとどめる、というより、大切なことはなぜ人間はこのような事を引き起こしてしまうか、ということを認識するのがより必要ではないか、私にはそう思えるのです。つまり自分自身も含めて、このような悲劇を生んでしまったのはさに人間そのものであり、自分の中にもそのような要因が巣食っていると自覚する、そのことがもっとも大切なのではないかと思えてならないのです。

私は廃墟からそれに似た感覚を味わうことがしばしばあります。こんな廃墟を生んだのは、まさに人間であり、風化と侵食という自然がそれを廃墟らしく化粧させる為に手助けをする。そんな人間の身勝手さや傲慢さを感じ、それはまさに自分自身の中にもある。自分も含め人間とはかくも矛盾に満ち、不完全な存在なのかということを認識する。そして自然の恐ろしさも実感できる。

それは、私が廃墟から学んだことのひとつです。

ここで私の廃墟迷言をひとつ。

「廃墟を保存しようとするのは、人間にとってもっとも愚かしい行為であると同時に、もっとも醜い逆説である」

 

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