廃墟はDeathtopiaか?



  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • SumoMe
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

よくSF映画やアニメなどに登場する近未来の荒廃した地球上の状態のことをディストピアなんて云ったりすることがあります。例えば核戦争とか大自然破壊とかで、様々なものが崩壊され、残された人々が何とか必死に生きている状態。ビルは倒壊し、あちこちで破壊された建造物の残骸やその破片などが地上を覆っており、まさに破滅した人間社会。

実は私は、こんな映像が大好きなんですね。私がもっとも好きなSF映画のひとつブレードランナーの冒頭のシーンも、ある種のディストピアですね。荒廃した都市部の中で様々な人種がうごめき、いったいここはアメリカなのか、香港なのか、東京なのか、まったく見分けのつかない荒涼たる街。

なぜこんな場面や世界観に魅力を感じるのか。私が廃墟好きなことと無関係でもなさそうな気がします。もしかしたら私の心のどこかにカタストロフィー願望があるのかも・・・。

ところで、私が大ファンの廃墟写真家の小林申一郎氏の写真集のひとつのタイトルが「DEATHTOPIA」です。なるほど、廃墟は一種のディストピアかと、ちょっとした発見でした。

ただ皆さん、私は廃墟は大好きだけど、そこに住もうなどとは思わないし、また実際不可能でしょう。私には帰る自分の場所があり、帰ればお風呂もシャワーもあるし、エアコンやパソコンなどもあります。つまり自分にとっては、それなりに快適な帰る場所がある。身の回りの社会もきちっと秩序が保たれ、ある程度はに安定している。

shimizusawa002

もし、本当に大破壊が起き、かろうじて生き残り、荒廃した社会の中で命からがら生きていたとしたら、本当に廃墟のような場所に住まなければならないとしたら、警察権力も機能しない荒れ果てた社会だったら、そのとき私は依然として廃墟好きだろうか、またディストピアに魅力を感じるだろうか。

よくよく考えてみると、その答えは否であろうと思います。私には心地よい生活が、ある程度は確保されているから、廃墟ファンなんだろうというのが結論です。本当に身の回りがディストピアになってしまったら、恐らくそんなSF映画を観たいなんて思わないだろうし、一刻も早くそこから抜け出したいと願うに違いありません。

自分自身を含め、人間とはそんなものだろうと思わざるにはいられません。自分にとって快適で都合の良い社会や場所が確保されているからこそ、荒涼とした世界観に魅力を感じたりする。それはある意味、とても屈折し、身勝手なまでのカタストロフィー願望の一種ではないかと思わざるを得ません。結局、そんな矛盾に満ちた人間が、廃墟を生み出すのです。

こんな言葉があります。

「地球にとって最大の害虫は人間の存在である。この害虫にもっともさわしい塒(ねぐら)は廃墟であろう」

え、誰の言葉かって・・・?

すいません、私の言葉です。ゴメンナサイ・・・

未来をディストピアにしない為に、私たちにはいったい何ができるのでしょうか・・・?

 

手作り時計作家KSカテゴリの最新記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。