江戸時代は年中無休だった?



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皆さん、現在のように土曜・日曜が休日になったのは、いつ頃からだと思いますか?

と云っても、お仕事によっては土曜・日曜もお仕事の場合もあるのはもちろんで、特に飲食店や小売店は土曜・日曜の営業は当然ともいえます。

特にファーストフードやコンビニなんかは、年中無休が原則でしょう。まァ、これらを利用するお客さんにとっては年中無休はありがたいことです。

しかしながら、年中無休のお店でも、働いている方は週単位でお休みがとれるとは思います。一般的には土曜・日曜がお休みという感じですが、大体働いている方のお休みの単位は一週間単位のローテーションでしょうね。

日本で法的に日曜日が休みに定められたのは、明治9年(1876年)のことです。でもこの法律が定められた当初、実際に休みがとれていたのは官庁、学校、銀行、そして一部の大企業だけだったようです。

ということは、それ以前、特に江戸時代なんかは人々はどんなサイクルで生活していたのかというと、年中無休です。一週間の単位とかありません。居酒屋さんでも茶屋さんでも定休日というものは原則ありません。

江戸東京博物館

江戸東京博物館です

例えば、大工さん達が家を立て始めたとすると、家が完成するまではず~~と働いています。日曜の休みなんて、もちろんありません。何ヶ月でも休み無く働き続けるわけです。ある意味では、だらだらと働き続けているんですね。

非常に恵まれた職人さんでは月の初めの1日と半ばの15日の2日間休みが取れたようですが、これはきわめて例外的だったようです。

働き者の職人さんなんかは本当に真面目に働き続ける。けれど、家が建て終わって仕事が途切れると、次の仕事が来るまでずっと休みになることもあるわけです。

落語で、労働者の鏡のような真面目でまったく休みもしない職人さんの話や、逆に腕はいいんだけど、飲んだくれの職人で長屋の家賃を滞納している怠け者の職人の話なんかもよくあります。何しろ一週間単位のメリハリが無いわけで、油断していると飲んだくれの風来坊になっちゃうかもしれません・・・。だけど、けっこうおもしろい人情話もあったりします。

江戸時代の大きな問屋さんとか商家の番頭さんや丁稚奉公の小僧さんなんか、盆暮れにちょっと駄賃をもらって田舎に数日間帰るという習慣があったわけで、つまりお休みは年に二回、数日間のみです。しかも一日の平均的な労働時間は15時間くらいと、むちゃくちゃ長かったみたいです。

さて、西欧で日曜の休日は、宗教上の理由によって定められたようです。キリスト教を国教としていたローマ帝国で、西暦321年に日曜日は一切の仕事を休んで神とともに一日を過ごす「主の日」と定めたのが始まりされてます。ということは一週間の単位の概念がこのときには既にあったわけでしょうね。

ところで先述のように、日本では明治9年に日曜日が休みに定められたとはいえ、ほとんどの人々は日曜日に休みをとれるようにはなっていなかったようで、もちろん週休2日なんてとんでもない。その理由は「定期的な休みを取れるような経済的な余裕がない」とのことのようですが、これってなんだか資本家の理屈のような匂いがしますよね。

実際に日本国民の多くが日曜日に休めるようになったのは、大正8年(1919年)頃からだそうです。何か法的な改正事項などがあったとの記録は無いのですが、この頃からようやく「週休制」が一般的に普及したらしいですよ。何か特別なきっかけでもあったのでしょうか・・・?

昨今では銀行や役所などはもちろん、週休2日制が当たり前になってきたようですが、業種や会社によっては「休みなんか取れないよ・・・」なんて愚痴をこぼしている方もいらっしゃるかもしれません。

かく云う私も、ほとんど休むなんてことはありません。それこそ江戸時代の職人さんみたいに年中無休状態で働いています。さすがに盆暮れはちょっと休みますけど。

でも、それほど辛いわけでもありませんよ。なにより時計作りが好きですから。私の作品をご注文してくださったお客様たちの為に時計を作るのは、私にとって無類の喜びであるし、どうせ休みをとっても、頭の中は時計の新しいデザインのことばかりですから。

でも皆さん、休みはしっかりとったほうがいいですよ。その方が結局は全体の能率は上がるだろうと思います。私みたいな輩は、単なる「仕事の虫」ですよね。

 

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